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2012年 02月 01日
先の展開に全然期待出来ない内容だった。『無限のリヴァイアス』というアニメを思い出して嫌な気分になったよ。こういう話は下準備をしっかりとしないといけないのだが、このアニメはそこら辺が全然出来ていないからな。
この手の「極限状態に追い込まれた集団内で人のダークサイドが顕現しまくる」という話をやるのなら、そこに至るまでに徹底的にライトサイドを描いておかないと。個々人という以上にその物語世界に対して好感を持たせる所まで持って行っておかないと、世界その物を「いらね」と思われてしまう。特に昨今のような状況では。 例えば『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメは結構見ててフラストレーションが溜まる話だったが、それでもみんな見ていた。当時としてはクオリティが高かった、フラストレーションを凌駕するカタルシスをコンスタントに与えられた、などと色々な理由があるが、一つには対抗馬が無かったという事がある。同じような快楽を得られる物が他にない以上、多少の不快感には目を瞑って見続けるしかなかったのだ。 翻って昨今、放送作品数が増加しまっくているので、「他を持って替え難し」というような状況はあまり見受けられなくなった。気に食わなければさっさと見切りを付けて他を見ればいい。現状やっている物に上手く替わりに成る物が無かったとしても最近はパクリに寛容だから、待ってればもっとストレスの溜まらない、似たような話が出てくる。もはや物語とそれによって構成される世界そのものが、替わりが効く物なのだ。 そういう時代なので、世界に対する好感度が高くないと話の中での情勢が緊迫しても特に何も感じない。「世界が滅ぶかもしれない」と言われても、「山のようにある世界の内、一つぐらいなくなってもどうという事は無い」と思うだけだ――キャラクターなどの要素に気に入った物があったとしても、それが真に優れた要素ならそのうち余所の作品で似たようなものが見れる――。 それを回避する為には、事前に徹底的に登場人物と彼らが生きる世界に対する好感度を上げておく事。一度愛着を持ってしまえばおいそれとは捨てられない。ストレス溜まりまくりな展開になっても、ここまで来たら最後まで見るしかない。そういう状況に持ち込む事だ――そこら辺、吉野弘幸はわきまえているから、『舞-HiME』をああいう構成にしたんだろうに――。 そういう風に場が暖まっていない状況で、本来味方である連中といがみ合いを始めても、「良く知らない、どうでもいい連中が、良くわからん/どうでもいい理由でいがみ合っている」ようにしか見えないので、うんざりするだけで先を見る気が起きなくなる。実際、今期の新番はその手の物ばかりだったので、片端から切りまくった。 このアニメの場合は半分過ぎているから、「場は暖まっている」と思ってしまいそうだが、さに非ず。前半戦でのキャラの掘り下げは全体的に不十分だし、世界に至っては良い悪い以前に実感が湧くレベルではない。まして、今回騒いでいたのは前回出たばかりの名前さえない、モブキャラに毛の生えたような、ばっちし「良くわからん、どうでいい連中」だ。そしてそれに引き摺られているのは、好意を抱く機会などがまったく無かった完全なモブキャラたち。こういう連中で構成される集団を維持する事にまったく共感が抱けない。別に崩壊するなら崩壊するでいいじゃん。 主人公である集の立場から見ても、いや集の立場から見れば尚更、この集団を助ける理由が見当たらない。親しい、あるいは大切な人たちはいるが、それは映研部に集中している。彼にとって守るべきはその小さな集団で、その外にある学校という集団は中途半端に大き過ぎて、元々あまり居心地が良い場所ではなかったはず。ぶっちゃけ集が守るべき面子、または守りたいと考えるだろう面子は、祭たち映研部の仲間、いのりたち葬儀社の仲間、そして(むしろ葬儀社の関係者という意味で)亜里沙。これだけだ。そして、集のヴォイドを取り出す力と、彼ら自身の協力があれば、この面子の安全を確保する事は容易だし、脱出さえ不可能ではあるまい。 それなのに、何故わざわざハードルを高くするような事をする。学校まとめて抱え込む事のメリットは、デメリットよりも小さかろう。義侠心や正義感で積極的に動くタイプでなかったはずだし。そこら辺を先にきっちり押さえて置かないと「目的達成の為には手段を選んでいられない」的な事を言われてもピンと来ないよ。そもそもの目的自体に疑問符が付くんだから。 涯が「お前はいつだって俺になれる」とか言い残して死んだんで、集が新たなる指導者、真の主人公に手際良くなっていくかと期待していたんだが、なんか迷走している。どうも、「生まれつき完璧超人に見えた涯だが、実際にはそうなるまでにかなり苦労したんだよ」という事をわからせる為に、実際に集が「そうなるまで」の苦労する様を描こうとしている気配がする。まあ、先に完成形態を見せておいて、そこに至る過程を描くというのは悪くない手だ。 でもなあ、集には一番肝心の「目的」って物が無いからなあ。涯が自分より先を行っていた、本来のスペック自体は自分より上な集を追い越してゴールにたどり着いたのは、はっきりした目的とそれを達成しようという強固な意志があったからだ。スタートを切る為の最初の力であるそれらが無いと、幾ら苦労しても涯みたいにはなれない。そして集に欠けているのはまさにそこら辺だったりする。 いのりをゲットするというのがぎりぎり目的っぽかったんだが、それは有耶無耶の内に達成されてしまったからな。つーか、集自身が無理だ無理だと思っていただけで、最初からゲットしていたんだよ、客観的には。そして集の内部において最大の障害だった涯もいなくなった今、主観的にも問題は無い。 序盤からネックだった部分がここに来て更に悪化した。実の所こういう物の欠如ってリアルな世界でも致命的だからな。知恵も力も金も(少なくとも理屈の上では)人から借りたりもらったりする事が出来る。しかし目的と、それを達成しようとする意志、この二つだけは他人からは得られない。 主人公にそれらを持たせなかったのは根本的なミスなのではないだろうか。それともあえて必須の要素を外してみたのだろうか。どちらにせよあまり感心できる事ではないのだが。 2012年 01月 25日
「やっちまった」感に満ち溢れた回だった。
色々あるんだが、まず、今までぎりぎりストーリーに張り付いていたエンドレイヴという要素が、今回の件で完全に剥離した。 このアニメには、「客を惹き付けるんだが、実の所ストーリー的な必然性は無く、むしろ不自然」な要素が結構ある。花ではあるんだが、枝や茎に繋がっている様子が無い、物凄く造花っぽい代物だ。その筆頭はヒロインが歌を歌う事だが、それに次ぐ物として人型兵器の存在がある。 主人公である集にヴォイドを引き出すという特殊能力があり、それが直接的・物理的な力になるのだから、他にロボット(人型兵器)のような「華やかな力」は必要ない。むしろ「花」としてのヴォイドの存在がぶれるので邪魔だ。 ただし「敵対する力」としてなら有り。主人公の力の強さを見せる為に、敵にわかりやすい「力を持つ物」を出すのはわるくない。とは言えその場合、それが敵である事もわかりやすく示さねばならない。醜くしろとは言わないが、悪っぽくはしなければならない。 にも関わらず、この話の人型兵器エンドレイヴは割とヒーローっぽい。それ自体からはあまり悪という印象を受けない。何故か。それは主人公側の綺麗所がそれで戦うから。エンドレイヴがヒーローっぽい外見なのは綾瀬が操縦するから。逆から見れば、綾瀬が操縦するという事だけが、エンドレイヴがああいう外見である事に正当性を与える事が出来ていたのだ。 それなのに今回、当の綾瀬があっさりヴォイドで活躍してしまった。集がヴォイド使って暴れまわっている横で、綾瀬がエンドレイヴで戦っているという構図だったから、主人公側の要素としてエンドレイヴの存在が許されていたのに。綾瀬までヴォイドの力で戦ってしまうのなら、終始一貫、デザインのレベルからエンドレイヴは敵の物にしといた方が良かったよ。 前回唐突に「取り出したヴォイドが取り出された当人にも使えるようになった」ので、「大丈夫かなあ」と心配していたのだが、速攻で一番やってはいけない事をやっちまいやがった。「エンドレイヴを操縦する事が綾瀬の全てでは無い」という事を言いたいのはわかるが、それは今まで十分にやってきただろう。むしろ今回の話で、「戦う以外には綾瀬には何もないのか」と思ってしまった。ヴォイドを引っこ抜いて本人自身に使わせるのは別に構わないが、戦闘以外で使える物という手もあっただろう。戦闘に使える物にするとしても、車椅子状態で使える物にする手もあっただろう。正直あれは無いと思う。 篠宮綾瀬、色んな意味でとてもいいキャラだったんだけど、今回一話でありがちな「事故で障害者になった可哀想な女の子」に成り下がってしまった。なんで彼女が歩けないのか。先天的か後天的か。彼女の過去にどういう事があったのか。そういう事は割とどうでも良かったんだ。ただ、今の彼女の、「歩いたり走ったりという他の人が当たり前に出来る事が出来ないからといって卑屈になったりせず、自分が出来る事を精一杯やる」という生き様が重要だったのだ。エンドレイヴの操縦もその延長であったはずなのに。普段は出来ない跳んだり走ったりする事が出来て楽しいという気持ちはあったろうが、それはあくまで副産物で目的であってはならなかったのだ。 彼女の個性は「車椅子」であって「歩けない事」ではなかった。しかも「車椅子」でさえ、個性の一つであって、彼女の全てではなかった。それなのに今回の話で、「歩けない事」に彼女の全てを押し込んでしまった。彼女のもう一つの重要な要素であった「恋する女の子」という部分もだ。 今回の話を見ると改めて、涯は前回死んで正解だったと思えてくる。涯が死んで綾瀬が動揺するのは予想通りだったが、動揺の仕方がひどい。この嬢ちゃん、涯の死によって、自分が彼から受けていた精神的な恩恵が失われた事のみを嘆いている。涯の死そのものについては何も思ってない。ましてや、彼自身の気持ちなどはまったくそん度していない。 5話でアルゴと一緒に集に対して「お前は何もわかっていない」的な発言をしていたが、実のところ彼女も全然わかっていなかった(事にされてしまった)ようだ。それ以前に理解しようとさえしていなかった(事にされてしまった)ようだ。その他大勢はともかく名前のある連中は、涯は本当は結構弱々で表向きの顔は無理をした結果だと薄々気付いていると思っていたのだが。綾瀬がこの有りさまでは、アルゴたちにも期待できんな。 鋼屋ジンの脚本はこれで二回目だが、前に担当した8話と同様に悪い意味でわかりやすかった。良く知らないのだが、この人っていつもこうなの。どの登場人物も自分に与えられたキャラ属性を越えるような事をまったくしないので、魅力を感じる事がほとんど出来なかった。 綾瀬も綾瀬だったが、集も集だ。この期に及んで尚、「もう、全部終わったんだよね」などとほざきやがった。これでいったい何回目だ。もう成長でも再生でも覚醒でも何でもいいから、いい加減少しは出来る人間になってくれ。涯が死んだ事によって集に何らかの変化があるだろうと期待していたのだが、なんも変わっていない。心底がっかりだ。 こういう台詞はむしろ、これまでひたすら突っ走ってきた人間に言わせるべきだった。例えば谷尋が言っていたら、何がしかの感慨があったであろう。そこで集が、表面的には賛同しつつも、内心では「はたして本当に終わったのだろうか……」などと危惧していたら話が上手く締まっていただろうに。 ちなみに谷尋に関しては今までと若干イメージが変わっていた。と言うか、涯の居たポジションに押し込められているように見えて、げんなりした。「こいつを新リーダーにして葬儀社を新装開店(リニューアルオープン)したらあ」と投げやりに思ってしまったよ、まったく。 2012年 01月 18日
いい最終回でした。来週から始まる『ギルティクラウン2』も楽しみです。
……このアニメが始まった頃に「むしろ涯の方が主人公だよなあ」とか思ったものだが、今回の話を見ると改めて前半の真の主役は涯だったんじゃないかと思えてくる。それくらい、ばら撒いてあった伏線や仕掛けが今回のラストで綺麗にまとまっていた。まったくもって有言実行過ぎるぞ。 「自分を振り回すだけ振り回した挙げ句に勝手にさっさと逝/行ってしまった女。そんなのに何時までも拘って、真っ当な人生が歩けなくなった男の話」って、むしろ嫌いな部類に入るんだけどね。例えば、やまむらはじめのマンガにはその手の男が良く出てくるが、その度にげんなりする。にも関わらず、今回の話は普通に面白いと思えた。なぜだろう。 外堀が上手く埋めてあった部分は大きい。当人が病気で余命幾ばくも無い事。彼女を助ける事が世界を救う事にも繋がる事。散々な目に合わされた挙げ句にこっ酷く振られたが、病気でおかしくなっていたので、まったく脈が無いとも言い切れない事。こういう諸々の事情が、涯を「愚かな男」や「滑稽な男」にならなくて済むようにしているのは確かだ。でも最大の勝因は、やはり他の女と深い関係にならなかった事だな。 やまむらマンガを見ててげんなりするのは、単に昔の女に何時までも拘るからではない。その前に「今現在、自分に好意を持ってくれる顔も性格もいい女が近くにいるのに」という句が付くからだ。これがある所為で「愚かで」かつ「非道い」男になってしまっている。 このアニメもそういう流れの上でここに至っていたら、多分全然別の感想を抱いていた。例えば綾瀬が涯に対する自分の気持ちを集に、延いては視聴者にはっきりと示していたら、あそこで涯が死ぬ事は容認できず、「集、引き摺ってでもその馬鹿を連れて帰れ」と思ったことであろう。 でも、実際の綾瀬は「好きとかそんなんじゃないわよ。尊敬しているの」などと腑抜けた事しか言っていなかった。一方で、もう一人の候補者である亜里沙の方は、そもそも接触の回数自体が少ないので話にならない。そんなこんなで涯には戻る義務が無いし、集の方にも連れ戻す義務が無い。見ている方としても「ここで好きな女と死なせてやるのがむしろ人情」と納得。いのりの言うように涯は満足だったろうし、その物語は綺麗に終わったのだ。それこそ、前半戦の主人公は涯だったと言った方がしっくり来るレベルで。 ちなみにラストが綺麗にまとまったって事を差っ引いても尚、涯の方が思いっきり主人公らしい。今回の話を見てそう思ってしまった。元々主役に求められる物を集よりも遥かに備えている奴だが、今回ついに集の最後の持ち札である「ヘタレ」さえ分捕っていきやがった。「ヘタレな坊やが好きな女の子への気持ちを梃子にして、一人の男になる」というストーリーだけは集の専売特許だと思っていたのだが、それさえも涯が既にやっていた。 いや、「幼い頃、先に跳んでいたのは実は集の方だった」というのは上手かったけどね。実際、見事に裏をかかれたよ。それに涯が集と同い年だった事も理解できた。「物語でのポジションから考えると、二つ三つ年上であるべきだろうに」と前々から思っていたのだが、この為だったんだな。確かにこれをやる為には同い年にしなければならない。 でも理解できる事は肯定できる事とイコールではない。同い年だったのがこういう事情に寄る物だとわかると、逆に「こんな事の為に」と思わずにはいられない。何せ、涯を集と同い年にする事によるデメリットは他にも及んでいるからな。綾瀬、亜里沙、アルゴはみんな17歳だが、これにはかなり違和感があった。集との関係とかを考えると綾瀬と亜里沙が18、アルゴが19か20辺りが無難だろう。なのにみんな揃いも揃って十七歳なのは、「涯より年上には出来ないが、集より年下にも出来ない」ので選択肢が無かったのだろう。涯を集と同じ17歳にした為に芋づる式に17歳が増えて、明確な理由も無く不自然に17歳が多い話になってしまった――後付けの理由をこの後、明らかにするかもしれないが――。 「完璧超人に見えるイケメンが元々はヘタレで、ヘタレに見える一高校生が本当はもっと出来る奴」というのは、それなりに面白いし、その背後にあるテーマやメッセージまで考えるとかなり評価できる。でも、それも結局は集(のドラマ)よりも涯(のドラマ)に利する所が大きいんだよなあ。今回明かされた過去の所為で、これから集が何か上手くやっても、それは「成長」ではなく「再生」という事になってしまう。何をやっても「元々出来る奴だから」という風に見られるってのも哀れだ――まあ、涯は今までそう見られてきたんだが――。準主役が主役並の活躍をする為に本来の主役が踏み台のような扱いにされるってのも、「なんだかなあ」な話である。 とは言え、まだ半分ぐらいは残っているからな。「自己再生」の物語ならそれはそれでこれからでもやり様はある。集の物語として見た場合、ここまでの話は随分と長いプロローグになってしまうかもしれないが、それでも残りは十分にある。世の中には同じような事をラストの数話前にやった『PERSONA - trinity soul -』のようなアニメもあるからな。あれは主人公が本当の意味で主人公としてスタートラインに立った時には話が終わっていた。それに較べると、折り返し地点でバトンを本来の主人公に渡したこのアニメは十分に真っ当だ。 ただ、それも最初から考えてこういう展開にしていた場合の話。もし、方針転換として今回のラストに繋がるのだったら先行きは暗い。何しろ割と客に苦行を強いる話だ。主人公に過度に感情移入している人間からの反発は激しかろう。そういう声に負けて「とりあえず、横にいる評判の悪いイケメンを退場させた」んじゃないかと、どうしても疑ってしまう。「『ギルティクラウン』は涯が死ぬとこまで」とか後々言われるんじゃないかと心配になる。『舞-乙HiME』という前科のある吉野弘幸なので尚の事。 2011年 12月 31日
折り返し地点に相応しいように盛り上げようとしているのはわかるんだが、表層的にテンションが上がれば上がるほど、むしろ冷ややかな気分になってしまった。この段階でこういう展開にするのは間違っていない。ただし、それは手順をちゃんと踏んでいればの話。これまでの経緯が経緯なので逆に、「葬儀社の仲間を助ける為にがんばる集」にまったくと言っていいほど感情移入できなかった。前回までの話を見る限りでは集が葬儀社という組織に対してそこまで強い感情を持っているとは、とても思えない。
葬儀社の中の誰かしらを助けたい、という展開なら良かったんだけどねえ。葬儀社という集団でくくってしまったので違和感が。同じ葬儀社のメンバーであっても、具体的にそれが誰かで集の気持ちも違ってくるだろう。 これまであった事からこの段階での集の感情を推測すると、「いのりは当然助けたい」「涯も、このまま死なれると勝ち逃げされたような気分になるので、ここで死んで欲しくない」「綾瀬とアルゴには、きつい事も言われたが世話にもなったので、出来れば助けたい」「ツグミとはあまり縁がないが、自分よりも年下の女の子を見捨てると目覚めが悪いのでどうにかしたい」「四分儀、大雲、その他の名の無い連中は割とどうでもいい」「研二はあまり助けたくない、むしろ出来れば見捨てたい」という感じになる。斯様に同じ集団のメンバーでもその中の誰かによって感情のプラスマイナスや濃淡は異なってくる。いや、そもそも一人の人間に対してさえ、こういう場合には相反する感情を持つのが普通だ。例えば綾瀬の場合、基本的には助けたいと思うだろうけど、前回言いたい放題言われた事を思い出すとこのまま放って置きたいと言う気持ちも湧いてこよう。涯の場合は言わずもながら。 そういう複雑な人間心理を無視して、主人公にヒーロー的な行動をさせられても、見ているこちらとしては盛り上がれない。「こういう時、主人公だったら仲間を助けに行かなきゃ」といった物語的な都合があからさまなんで白ける。 ちなみに白けるという事に関しては助ける側のドラマも同様だった。「友情パワーで大逆転」という事をしたつもりなんだろうが、これまた外していた。 外した理由は上と同じ。「学校の友達」とひとくくりでまとめてしまった事。こういう状況で共に危地に飛び込んでくれるような「友達」は祭、颯太ぐらいだ。花音まで来るとちょっと微妙。亜里沙は協力はしてくれるだろうが「友達」と言える関係ではない。谷尋はこれまでの経緯が経緯なので、ここであっさり協力してくれるのはちょっと不自然――少なくとも「みんな」と一緒に協力するのはしっくり来ない――。集との関係にしても抱える事情にしても、一人一人異なる。そこら辺を無視して一纏めに「友達」とか「仲間」というニュアンスで話を転がしてしまったので、取って付けた感じが半端でなく、見てて全然盛り上がれなかった。 この状況で亜里沙まで面子に入れて、「知り合い総動員でヴォイドを引っこ抜きまくる」展開にするなら、いっそ綾瀬やツグミ、アルゴも助ける側に置いておいた方が良かった――途中で拾うでも可――。こいつらのヴォイドも引っこ抜けば、なりふり構わない感じが出て却って良かろう。その場合、「葬儀社の仲間を救う」話としては少しおかしくなるが、上で書いたようにそもそもそれ自体が良くないので、そこは割り切って「いのりと涯を助ける」ぐらいのニュアンスに変えてしまえば良かったのだ。 それにしても今回は実に大河内一楼らしい話だった。こういうストレートな、善良な少年少女が協力しあって事を成し遂げる話を作らせると実にいい仕事をする。最近あまり振るわなかっただけに、「『エンジェリックレイヤー』や『ステルヴィア』の頃の調子を取り戻したか」と嬉しくなるよ。――今回だけで見ればだが。 シリーズ物の一話として見れば、「この展開は無い」と言わざるを得ない。このアニメ、そこまで単純な、性善説的な物語ではなかったはずだろう。主人公の集にしても「物語の主人公になるべく作られたキャラ」ではなく、もっと生々しい今、現実にいる若者・少年の投影として作られている。これまで描いてきた、人間の弱さとか醜さとかを考慮せず、単純なヒーロー物にしてしまうのは問題がある。 ああでも、そこでそういうマイナス要素を描こうとすると、『コードギアス』や『シゴフミ』の時みたいに、「出来ない事はするもんじゃないな」という結果になってしまうか。結局どうにもならないんだな。身も蓋も無い言い方になるが、大河内一楼では吉野弘幸の深さについて来れないようだ。 まあ、吉野弘幸の深さも必ずしも物語にプラスになるとは限らないんだけどね。当たる時は大当たりするんだが、駄目な時はかすりもせんからな。深くはあるが、狭い深さなのだろう。そもそも広さがあれば、他の脚本家が担当した回の話も上手く取り込んでいるだろう。そこら辺、あんまり出来ていないからな。お陰で脚本家によって全然別の話みたいになっている。 この二人、一緒に仕事してもあまりいいこと無いようだな。どっちか一人に任せた方が良かったんじゃないか。どっちがやるかによって全然別の話になるだろうが、少なくともこういう不安定な話にはならずに済んだと思うのだが。 2011年 12月 21日
「女のためです。たった一人の女を、この手で抱きたい。だから戦っています」
なんか先を越されたな。こういう台詞は集に言ってほしかった。相変わらず主役を食ってるな、恙神涯。 主役に求める事は色々あるのだが、その一つに「動機や目的、願望がわかりやすく、一貫している」という物がある。これが満たされていると主役に感情移入しやすいし、物語の方向性がある程度わかってイライラする事が少ない。 集は多分それを満たしている。初めから今に至るまで一貫して彼の行動の根幹にあるのは「いのりを自分の物にしたい」というわかりやすい願望なのだろう。 まあ、この推測自体が半ば以上(私の)願望だがな。なにしろ、それ以外には見当たらないので。理想や正義、義侠心とかではないだろう。アンチボディの非道に動揺したり、葬儀社に仲間意識を持ったりしたが、その場限りの事でそれが行動の原動力とかにはなっているようには見えない。 ここら辺、いかにも「今時の若者」だ。倫理や道徳といった社会で作られた価値観など気にも留めず、(ナチュラルに)自分にとって利益か不利益かを計算している。(社会における)地位や名誉や賞賛とかが欲しくない訳でもないが、リスクを負ってまで得ようとは思わない。誰かが災厄に見舞われている事を知っても、「自分にはどうする事も出来ない→だから責任はない」と軽く流せる。貪欲ではないのでわかりにくいが、実はかなりエゴイスティックだ。 もっとも、そういう在りようって嫌いでもない。「夢の実現=社会的成功=正義」という考え方に染まっていた前の世代――あるいは我々の世代――より余程評価できる。年寄りは今でも「夢を持て」とか言って社会において何かを成し遂げさせようとするが、大抵その言葉の奥にある本音は「自分たちでやるのはかったるいから、お前ら代わりに社会に貢献して(俺たちが)快適な世界にしろ」程度でしかない。そういう欺瞞に満ちた言葉をスルーして自分のペースで利己的に生きるしたたかさには、むしろ好感を覚える。 ただ、一方で、「本当にそれでいいの?」とも思う。損をしないように、いいように利用されないようにという事に捕らわれ過ぎて、本当に欲しいと思う物を手に入れる可能性まで潰してしまうのはどうだろう。ここぞという時には突っ走っちまった方が良くないか。途中で損をする事になっても結果的に他人に利用される事になっても、それは恥ずかしい事ではないと思う――と言うか、気にする事ではないと思う――。 別に夢だの何だの高尚な事を言わなくてもいいんだ。そもそも「夢」なんて言葉は社会に役立つ時だけ欲望に被せられる仮面だ。「夢」という言葉をフィルターにして社会にとって有害・無益な欲望を排除しているに過ぎない。「夢」と呼ばれるようになった時点で純粋ではないのだ。 そんな事を普段から思ったりしているので、集が「意中の女を自分の物にする」という欲求で動いていてくれるのならば、むしろ嬉しい。正義とかとは無縁で相当に利己的――「いのりを守る」「いのりを幸せにする」でさえ手段であって目的ではあるまい――だが、この場合はそれでいい。目的達成の為に他人や社会の利益とぶつからないように工夫する必要はあるが、スタート地点では他者の利益を無視した完全に個人的な欲求の方がむしろ純粋でよろしい。 純粋と書いたが、こういう場合、主人公のヒロインに対する気持ちがどれだけ純粋に見えるかで作品自体の良し悪しがかなり変わる。その点、集の設定、初期状態は良く出来ていた。 話が始まった時点の集はかなり恵まれている。恵まれていると言っても、いわゆるリア充というのとはちょっと違って、むしろオタクまたは草食系男子の願望が満たされた空間というか。好意を寄せてくれる可愛くて胸の大きい幼馴染み。自分を溺愛している(でもあんまり家に帰らない)美人のお母さん。空気を読めない自分を(頼まなくても)フォローしてくれる友人。全然がんばってないのに快適な青春を送る為に必要なものは全部揃っている――父親という精神的に面倒臭い存在は端から居ないし――。 こういう満たされた状態にあったお陰で、集がいのりと親しくなろうとしたのが「現状から脱出する為の手段」に見える事だけは無くて済んだ。ボーイ・ミーツ・ガールをやろうとしたんだが、ここら辺の塩梅がわかってなくて失敗した例はいくつもある。「お前もそろそろ恋愛の一つでもせんか、と言われてその気になったちょうどその時ヒロインが通りかかったのでこいつにしようと決めた」とか「なんか人生上手く行かない。今の自分は本当の自分じゃないんだ。ああ、彼女なら自分を本当に自分が居るべき所に導いてくれる」みたいな出だしだと、その時点で白けてしまう。 まあ、集の「満たされた日常」も実際は砂上の楼閣で、しかも早々に崩れ始めてしまったから、いのりに対する気持ちが強くなったのも状況に流された結果――吊り橋効果――という面は否定できない。そもそも最初に惹かれたきっかけも、「記憶の奥に眠っている「お姉ちゃん」と同じ姿をしていたから」という可能性が強いし。 それだけに、集には「自分はいのりを欲していて、戦うのはその為だ」と言う事をきっちり自覚してもらい、かつ明言してほしかったんだが。なんか涯に先を越されてしまったよ。これでは集が言っても二番煎じ、物真似にしかならない。しかも今回、集が涯みたいになろうとした事、それが間違いだった事が割とはっきり描かれてしまった――集自身は「なれなかった」事を問題にしていたが、話の流れからするにそもそも「なろうとした」事が間違いだったのだろう――ので、それ(二番煎じ、物真似)さえ出来ない。 「やっぱり吉野弘幸が描きたいのは涯の方で、集の方はどうでもいいのかなあ」と少し思ったが、よくよく考えるとこれも仕方がない事なのがわかってくる。 主役と準主役、二人いる以上、性格やらキャラクターやらはきっちり分ける必要はある。同じような事をするようでは二人用意した事がむしろ有害になる――きっちり敵味方に分かれていれば、多少キャラが被ってもいいんだが――。実際、くだんの台詞(あるいはそれに類する台詞)を先に集が言っていたら、「むしろ涯が言いそうな台詞だよなあ」と思っていたかもしれない。涯が常に自覚的で、自分一人で決めて進んで行くタイプなら尚更、集は思い悩んで人に背中を押してもらうタイプにならざるを得ない。そういう事なのだろう。 一見、主役である集が、準主役である涯のあおりを食ってキャラが歪められているようだが、そういう訳ではないのだろう。むしろ涯が居る事で集の「弱さ」が魅力に見える。実際、ある種の女性は涯よりも集の方に魅力を感じる様子。涯自身はむしろ集に劣等感なり敗北感なりを持っている。「僕は僕だった。どうしようもなく桜満集だった」みたいな台詞を肯定的な意味で言えるようになるかが、とりあえずの山か。 そこまで考えると、くだんの台詞を発したのが集ではなく涯だった事にもそれなりに納得できる。確かに今更、普通に出来る奴になっても困る。変わらなきゃならない部分もあるだろうが、根本的な所は変わって欲しくない。周りに助けられまくるというのは、それはそれで主人公らしいしな。 ああただ、そこら辺をわかっても尚、今回の祭の「男にとって都合のいい女」っぷりは見てて少し不快だった。表面的・短期的には見ると「都合のいい女」になる事を拒絶した事になるんだが、物語的・長期的に見るとむしろ完全に主人公と物語にとって「都合のいい女だ」。だってこの後、集がいのりとよりを戻す事を考えると、ここで何もない方が好都合だもん。 そこは「他の女の代わりなのはわかっている。でも、ここを逃がせばもう二度と彼は手に入らない。既成事実を作って彼を自分の物にする」みたいな方が良かった。祭は当初から主人公にとってあまりに都合のいいキャラなので逆に微妙だったからな。むしろここで、そういう狡さだの弱さだのを見せてもらった方が魅力を感じたと思う。 あと、ああいうしょうもない現実逃避をした集にはちゃんと罰を食らって欲しかった。ここで祭と一線を超えちまって後でいのりとの関係が盛大にギクシャクするぐらいした方がむしろ納得できる。こと、いのりとの関係に関しては、集にはとことん苦労してもらいたい。 もっともここで本格的に三角関係(というより修羅場)なルートに入ったら、それこそ収拾が付かなくなるか。本末転倒な事だがこのアニメ、やる事が多すぎて主人公一人にかかずらわっては居られないようだ。 吉野弘幸の作品は主人公を始めとして出来る奴が多いが、作家個人の好みとは別に、そうならざるを得ない事情があると思う。吉野作品は大抵ネタが詰め込んであるので、そういうキャラじゃないと尺に話が収まらないんだろう。なにか起こるたびに登場人物たちが悩みまくったり迷走したりしていたら、それこそ時間がいくらあっても足りない。実際このアニメも、主人公である集が一々悩んだりごねたりするので、上手く話を回せなく、回せないまま無理やり進ませているのでネタが未消化だ。この上、脇役連中までアホな事をしだしたらそれこそ収拾が着かなくなる。そういった事情がある以上、祭には(ストーリーの要求に沿った)賢明な行動をとってもらうしか選択肢はなかったのだろう。仕方がない。 ただ、周りの連中をしっかりした人間として描いてしまうと、主人公のヘタレっぷりが悪目立ちしてしまうのがなんとも。いや、駄目人間ばかりを周りに揃えられてもそれはそれで困るし、露骨な引き立て役を出されても不快になるんだけど。ここら辺なんか上手い方法はないものかなねえ。 2011年 12月 14日
次回予告で「そんな慢心した僕を」とか言っていたので、さぞや不愉快な気分になるだろうと思っていたのだが、そんな事は無かった。次回以降の展開で評価が変わるかもしれないが、とりあえずは問題の無い出来だった。
何で大丈夫だったのか。その理由は色々あるが、集の判断や選択が(少なくともその場その場で見れば)概ね正しかった事が一番大きい。慢心していたかもしれないが、行為自体は人として正しい物ばかり。そうじゃない道を選んでいたら、逆に軽蔑していたと思う。一人で突っ走っちまったが、時間的状況的に余裕がなかったという面もあるので単純に非難は出来ない――涯に助言なり指示なりを仰ごうとはしていたし――。 大体において、やるべき事をやろうとしていたし、出来る限りの事はやっていた。それにも関わらずあの悲惨な結末に至ってしまうのだが、だからこそ悲劇になる。人間的能力的に駄目な人間が間違った事をしまくった挙げ句に悲惨な目にあっても、順当過ぎて悲劇にはならない。むしろ正しく因果応報で喜ぶべき事だ。悲劇とは今回の話のような物を言うんだ。いやホント、良く出来た悲劇だった。 ただ、あまりに良く出来ていたので、逆に心があまり揺れなかった。なんか「まあ、仕方がないよね」という感じで納得してしまった。そもそも寒川潤当人が望んでいた事だし納得してしまっているし。集はかなり罪悪感を覚えているようだが、そこまで感情移入は出来ない。一方でそれなりに肩入れはしているので、二重の意味で潤の死を「仕方がなかった事」にしたくなる。谷尋にとってはかなり悲惨な結末だが、彼には肩入れさえしていない――そうなる機会を得られないまま事が終わってしまった――ので何らかの感情を抱きにくい。谷尋の今後は気になるが、それも「草間花音の今後に密接に関わるであろうから」という間接的な関心でしかない。 そんなこんなで潤の死その物はあまり心に残らず、その代わりにそこで明かされた、ヴォイドに関わる諸々の方に気を取られてしまった。 「ヴォイドが見える」のは涯固有のスキルかと思っていたが、アポカリプスウィルスに感染した患者なら(全員かどうかはわからないが)獲得できる――獲得できてしまう――割と一般的(?)な能力なようだ。そしてそれを逆の方向から見れば、涯は既にウィルスに感染しているという事になる。にも関わらず涯の症状が悪化しないのは、いのりの血にウィルスの進行を抑える力があって、それを定期的に輸血しているから。ほのめかされていたので予想は出来ていた事だが、今回明らかになった事で線が繋がったな。 潤の言っている事を聞くに、ヴォイドが見える事はむしろ苦痛で、アポカリプスウィルスのもたらす災厄は身体の結晶化などよりも、こちらの方が余程大きいようだ。涼しい顔をしてレジスタンス活動にいそしんでいるように見える涯は、実は常にあのような苦痛を受けているのか。彼氏の印象がまた変わったな。 かのように今回の話は物語のメインラインに関わる大事な事を上手く、センセーショナルに伝えてくれた。シリーズ物の一話としては良く出来ていた。しかし、シリーズの一環としての役割りを上手く果たしていたが、単体の話としては少し印象が薄かった。 ……いや逆に、シリーズの一環としての役割りを上手く果たしたので、結果として単体の話としての印象が薄くなってしまったのかもしれない。ここら辺、「卵が先か鶏が先か」の世界だ。あるいは、「あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず」と言った所か。難しい事だ。 2011年 12月 07日
「なんかぬるいね、色々。吉野のやつは何やってんの」
もはや5話ぐらいまでとは別のアニメのようだ。妙にわかりやすいし。 ぬるいのもわかりやすいのも、それ自体は別に悪い事ではない。「アニメは基本的に子供が見る物」と考えている人間としては、普段だったら肯定する。でも、序盤の展開とか乗りとかを思い返すと首を傾げざるを得ない。 今回のメインラインである魂館颯太との一件も、今回単体で見れば「多少底が浅いが、どうこう言うほどでもない。まあ、こんな物だろう」で済んだ。でも3話の谷尋との一件と比較すると、そうも行かなくなる。なにせ、やっている事は大して変わらないのに結果が正反対だからな。 集が谷尋との事で何かを学んでその結果として「今回は上手く行った」だったら良いんだが、別にそういう訳ではないようだからな。明暗を分けたのは相手側の事情が違ったからに過ぎない。それなのに、なんか「正しい事をやったから正しい結果にたどり着いた」的な描かれたするので「なんだかなあ」と思わずにいられない――緩衝役だった谷尋がいなくなったので却って本音でぶつかり合う事が出来るようになった、という面では筋が通っているが――。 一方、今回はメインラインとはあまり関係の無い短いエピソードが挿入されていたのだが、これもまた首を傾げざるを得ない代物だった。ダリルや校条祭の事情やら気持ちやらが描かれていたのだが、これがナンともカンとも。前回の亜里沙にしてもそうだが、妙にわかりやすい。当人たちのキャラがわかりやすいと言うのもあるのだが、それ以上にその見せ方がわかりやすい。あからさまに観客を意識した言動やシチュエーションが並べられていた。 これもまた、普通のアニメだったらそれで別に構わない類いの事だ。でも、このアニメだと問題だ。だって基本的には主人公を通して伝えられる話だったろう。 序盤――1~5話、6話はちと微妙――では概ね集の視線で描いていた。集がいない状況、見てない出来事が描かれる事もあったが、その場合でも「答え」を与えられるような事は無かった。むしろ、より「わからなく」なる事の方が多かった。それなのに、ここ最近は集を飛び越えてわかりやすく答えが与えられてしまっている。 確かに序盤の「わかり難さ」はストレスの要因ではあった。主人公がわからない状態に置かれるので、主人公に感情移入しているこちらもわからない状態に置かれ、イライラする。しかも、わからない状態に置かれた主人公が、わからない状態を受け入れてしまって――わからなければ責任がないと考えているのか――能動的にわかろうとしないので更にイライラする。二重の意味でストレスが溜まった。序盤の展開や乗りには、非難が多かった事だろう。 しかし、それは何らかの理由があって意図的にやっていた事なのだろう。だったらそれは通さなきゃ。今回のラストで集が「もっとちゃんとわかるようにならないと」的な事を言っていたが、そういう展開になるならなおの事、視聴者が先に行ってしまっては駄目だろう。これから集が色々とわかるようになって行く事で、視聴者もわかるようになっていく。それまでストレスを溜めた分、わかった時のカタルシスは大きい――。本来はそうなるべきなのだが、なんか今回――厳密に言うと前回からか――ルールを破っちまったので台無しになってしまった。今回の話の所為で「必要なストレス」「意味のあるストレス」になり得た物が、本当にただのストレスになってしまったかもしれない。 脚本家が違うから仕方がない面があるんだが、乗りが変わってきているな。受けが良くなかったから方針転換……にしては早過ぎるか。やはりスタッフ内でコンセンサスが得られていないのか。案外、吉野弘幸が一人で先走ってしまったのかも知れない。意図的にわかり難くしているのを見てると、彼が『SEED』の脚本家でもあったのを思い出す。あれは確かどこかで監督が「わざとわかり難くした」と明言していた。 この「わざとわかり難くする」という作り方も是非が決め難い。あれもこれも、自分一人で見ている分には不親切な作りに盛大に愚痴が出るのだが、世間の感想とかを見ていると逆に肯定したくなる。最近は一から十まで説明しないと理解できないお客が多くて困る。世の中、わかろうと努力しないとわからない事の方が多いんだけどねえ。 そういう世相を見ていると、こういうのも無いといけないと思ってしまう。個人的好みから言えば、もう少し穏やかにやってもらいたいのだが、それだと既にわかっている人間にしか結局通じないようだからな。荒療治になってしまうのも仕方がない。 まあ、このアニメの場合、大切な芯が何時の間にやら折れてしまっていた気配があるので、こっち方面でもあまり期待は出来そうにない。つーか、終始一貫させないと意味が無い事だから、これから元の乗りに戻してもどうにもならないのだ。覆水盆に帰らず、という所だ。 2011年 12月 04日
クオリティーは高い。
話の方もそんなに悪くないのだろう。 でも別に嬉しくない。 なぜなら『LAST EXILE』の続編だから。 『LAST EXILE』は神アニメだったよ。4話ぐらいまでは。そこから急に落ちて、ついに最後まで元のレベルに戻る事は無かった。なまじ最初が良かっただけに腹立たしさは尋常じゃなかったよ。 そんな感じだったので、これがいくら出来が良くても特に嬉しくならない。「世界が同じだけ」とかだったら別の物として見れるが、真っ当に続編だしな。「前作を全部見てて、前作が好きで、前作の話を覚えている」人の為の代物のようだが、私は最初しか当て嵌まらない。 一方で『LAST EXILE』の続編という事を忘れるとそれはそれで結構どうでも良くなる。だって、女の子三人が主人公なんだもん。『LAST EXILE』に惹き付けられたのは当時としては(あるいは今も)珍しい真っ当に出来る若人が主人公で、それの兄貴分だか師匠だかになるだろう出来る艦長がいたからだ。そして、だからこそ出来る主人公だと思っていたクラウスが(ヴァンシップに乗っているとき以外は)ただのヘタレで、出来る艦長だと思っていたアレックスが自分の感情でいっぱいいっぱいな小さい男でしかなかった事に失望と怒りを感じたのだ――にも関わらず、作品の中では二人とも最後まで出来る奴と言う事になっていたのでなおの事――。 対してこの『銀翼のファム』は女の子三人がユリユリする話。最近では珍しくも無く、はっきり言って食傷気味なパターン――同年代の少年はたくさん出しているのに、異性との恋愛をやる気配をこれっぽちも見せない辺りが凄い――。正直この手の話が上手く行っても「ああそうですか」で終わるし、こけたとしても別に困らない。見てて不快になる事は無いが、それも「本質の部分で自分とは関係ない」と感じているからであろう。 ああ、ただ、続編をこういう話にしてしまうのを見てると前作からのスタッフには節操って物がないなあと思う。つーか、前作でああいう主人公にしたのにも特に何か考えがあっての事ではなかったんだな。数年を経て更にがっかりだ。 あと、ディーオが生きていたのを見て、かなりげんなりした。モランというキャラをラスト二話前に雑に殺し、最終回でこれまた雑に「実は生きていた」事にしやがった、そのあまりにいい加減な展開を見て「この調子であと一話あればアレックスが蘇り、もう一話あればディーオが復活するのだろう」と毒づいたんだが、ディーオ本当に生きてやがったよ。なんかマジで、アレックスものうのうと生きていてソフィアと子供とか作っていそうだな、まったく。 2011年 11月 30日
乗りが違うんで「そろそろ別の脚本家が来たか」と思っていたら、順当に副シリーズ構成の大河内一楼だった。うん、やはりこの人、真人間たちが普通に協力し合って真っ当な事をする話を書かせると、いい仕事するわ。シリーズ構成である吉野弘幸が書いた前回よりも、むしろ出来がいい。皮肉な話だ。
ただ、今回単体で見るといいんだが先の事を考えながら見ると微妙になる。なんかまたしても「開始早々終わってしまった」ように見える。 やっとこさ登場した最後のレギュラーキャラ供奉院亞里沙だが、OPに顔を出したりしていなかったら今回限りのゲストだと思っていた事だろう。それくらい、今回一話でやる事をやってしまった感がある。綺麗にまとまってしまったから、これ以降は蛇足になりそうな気配が。次回以降、涯に対してツンデレ振りを発揮するかと思うと、今から少しげんなりしてしまう。 涯のキャラを考えると、彼氏にメロメロな女性レギュラーキャラは一人は必要だと思う。でも二人は必要ない。綾瀬というその役割りを担うキャラがもういる以上、亞里沙は余計だ。 亜里沙には(あまり色恋じゃない方向で)集の方と絡んでほしかった。なにせ声が遠藤綾だから。涯が中村悠一で、シリーズ構成が吉野弘幸だからどうしても『マクロスFRONTIER』を連想してしまう。二人のやり取りを聞いていると、バチ物っぽくてなんか嫌だ。力関係に多少の違いがあるが、根本的な所では同じようなキャラが同じような事をしている。この組み合わせでやる事自体は構わないが、もっと違うキャラクターにするぐらいはしてほしい――中村悠一はともかく、遠藤綾は他にもキャラパターンがあるんだから――。逆に同じような事をするのなら、完全にお株を奪うぐらいの勢いでやってほしい。こっちのイメージの方が強くなるぐらいまでやらないと駄目だ。 結局の所、おこぼれにあずかる程度の気持ちなのだろうか。実写のドラマだと、「ヒット作で主役・ヒロインを演じた役者をペアで連れて来て、そのままの組み合わせで使う」みたいな事をするらしいが、そういう乗りなのかねえ。 段々と、このアニメに対する作り手側の本気度が疑わしくなってきた。 このアニメ、サンライズやホンズが作ってTBSやテレ東で放送していたら「いつもどおり」なので、特に作り手の考えを忖度する必要はない。しかし、Production I.Gが作ってフジテレビのノイタミナ枠で放送されると、色々と勘繰ってしまう。なにしろ他所様の領域に思いっきり手を突っ込んでいる。しかも、世間的にはI.Gやフジの方が格が上だ。本気だとすると「シェアを奪う」どころの話ではない。「潰す気で来ている」レベルだ。 ただ、それを責めたり心配したりする気にはならなかった。見ている方としてはそれで面白い作品が出来るのなら文句は無い。潰される方はたまったものではないだろうが、それで潰されるようなら所詮はその程度だ。むしろ、最近はどこもかしこも守りに入りまくっているので、「もっとやれ」と言いたくなったぐらいだ。 でも、このアニメのスタッフ・関係者、そこまでの気概を持っていた訳ではなかったようだな。こっちはこっちで同じ事ばかりやってきたんだが、そろそろそれが通じなくなってきた。だから、新しい事をやらなければならないのだが、特にこれといってやりたい事もない。とりあえず、他所でやっている事を真似てみる。よく知らないが、そんなに難しそうでもなさそうだ。外から名のある脚本家を連れてくれば何とかなるだろう――。そんぐらいの気持ちで作っているように感じられる。 「俺が『コードギアス』をきっちり作り直してやる」と吉野弘幸が率先して話を作っているのかと期待していたのだが、どうもそうでは無いようだな。企画段階から加わっていたという話を聞かない所を見るに、「こういう企画を考えたんでシリーズ構成をお願いします」「はいはい、お仕事お仕事」程度の関わりなのだろう――『コードギアス』など当人が手がけた諸々の作品とかぶる所が多いが、それがクライアントの要望なのか、吉野弘幸自身の意図によるものなのか、結果としてそうなってしまったのか、という点については全然わからない――。主人公である集がいかにも「今時の若者」なのも、何か考えがあっての事なのだろうと思っていたが、単にフジの視聴者が共感しやすいようにする為だけだったのだろう――もっとも(普段アニメを見ない、非オタク・非マニアな層を取り込もうとする姿勢は正しいと思うが)実際にステロタイプな「今時の若者」的な主人公に「今時の若者」が好意や共感を持つかどうかは大いに疑問だ――。色んな意味で、当初期待していた程の物ではないようだ。 ただ、それでも今一番見る気が起きるアニメである事には変わりはない。なにせ、ここ最近は本当にヒットしたゲームやマンガ作品を、原作通りやるアニメばかりだからな。今期は大作目白押しと世間では言われて、原作の信者は盛り上がっているが、「外」の人間からすればどれこれも手垢が付きまくっているという印象を受けて見る気が、少なくとも慌てて見る気は起きない。原作通りに作っているアニメって結局は、「原作通り作っている」という評価しか出来ないし。 世間ではこの風潮がむしろ歓迎されているように見えるが、どうかねえ。どこもかしこも原作通り作るようになれば「原作通り作る事」の価値が相対的に低下するから、あっという間に飽きられると思うのだが――京アニ商法が上手く行くのは、京アニだけがやっているから――。先行き不透明な時代だからこれからも確実性がある物が求められる傾向は続くと思うけど、それでもこのやり方に先はなさそうだ。 この『ギルティクラウン』、出来に関してがっかりする事が少なからずあるし、盛大に物まねではあるんだが、それでも一応は新しい物語を作ろうとしている。こういうご時世だとそれだけでも貴重だ。多くを期待できないようだが、出来ればこれからも応援はしていきたい。割と好みなタイプの作品ではあるし、面白いと思う事も結構あるしな。 2011年 11月 19日
「空気読もうよ」
せっかく褒めたのにこのありさまだよ。あっさり駄目人間集団になったな、葬儀社。集の言っている事に色々と問題がある――三人に一人が死ぬってんで騒いでいたが、二十人に一人なら別に構わんのか、君は――のは確かだが、あれは無い。つーか研二くん、前回空気読まない発言をしまくった君が言うかね。まあ、空気云々なんてのは厚顔無恥な人間が、集団の利益を代表する振りをして己の利益を得る為に言うセリフという事だ――城戸研二に限って言えば「性格が悪い」というキャラ設定だろうから、これで良いっちゃあ良いんだが――。 これが筆頭だが、今回は全体的に人間の描き方が致命的なまでになってなかった。どいつもこいつも魅力が一気に低下した。再登場したダリルも悪い意味でわかりやすかった――吉野弘幸の、敵の中堅どころの扱いと描き方には従来より問題がある――。何より、肝心要の集と涯のドラマが相当しょぼかった。 この二人にはこんなにあっさり「解かり合って」ほしくなかった。集は涯の事を理解するべきだし、涯は涯で集に自分をさらけ出すべきだ。それは間違いない。ただ、それは自発的に苦労しながらやるべき事だ。答えや結果よりも、踏み出す事や答えに至る過程が大切なのだ。その過程で得られる物は本来求めていた答えや結果よりも大きく、また応用が効く――集は涯だけじゃなく色んな人や物事をもっと理解しようとするべきだし、涯はいのりや集以外の仲間に対しても自分をさらけ出すようにしなければならないから、二人で解かり合ってもゴールではない――。だから、背中を押してもらうぐらいはしてもいいが、いきなり答えをおしえてもらうのは、どうかと思う。 逆に「いのりが二人の仲を取り持つ」という展開にするのなら、前回の「集がいのりと涯の仲を誤解する」というイベントは必要なかったと思う。……いや、でもそれが無いと今回集が何を言っても、「いのりの好意を得たと思って調子に乗っている」と見られてしまうのか。それはそれで問題だな。 やはり4話の時点で詰んでいたな。結局、無理やり学園ドラマに戻るようだが、そんな事をするぐらいだったら、しばらくはのんびりと学園ドラマメインでやれば良かったんだ。派手な事やらないと客が惹きつけられないと思ったのかもしれないが、それで釣れる客は既に2話で釣れているし、そこで釣れなかった客はもう見ていないだろうから無意味だ――まあ、そもそも客の事など考えておらず、「自分たちが作りたい事、描きたい事を優先しただけ」という可能性もあるが――。 どうもこのアニメ、色々とやろうとしているんだが、結果的にどれ一つとして上手く行っていない。 先日、外伝小説がアニメ誌に載っているというので、ちょっと読んでみたんだが、これがナンともカンとも。いや、有益な情報が得られて色々とすっきりした。これ自体には問題がなかった。でも、こういう物をわざわざ読まないと話が良く理解できないという事で、アニメ本編が如何に問題があるかという事を再認識してしまった。それでも、アニメの方は主に主人公の視点で語られる、基本的には主人公個人の物語なのだろうと割り切ろうとしたんだ。しかし、その矢先に見た今回の話がこの体たらく。肝心な所でファンタジー要素が顔を出して話の論点が盛大にぼやけた。元々ある要素だから外すわけにはいかないし、上手く噛み合えば相乗効果があったんだろうが、結果としてはマイナス要素だった。 謎とかトリックとかも客の関心を惹くのは確かなんだが、上手くストーリーに乗っからないとマイナス要素になる。ペンの真相なんかも、それ自体はいい意味で予想外だったのだが、それを涯が使って云々のくだりは、「涯が何時、どのようにしてそのペンの秘密に気付いたのか」がまったく説明されていないので、むしろ白けてしまった。ペンの正体の方にどんでん返しがあったのだから、涯がペンの存在に気付く過程ぐらいは描いても良かっただろうに。それともあれを集が持っている事に気付いたのも、その正体を知ったのも、彼の特殊な目による物で、今それを言う訳には行かないのでまったく説明が無かったのだろうか。だとしたら、それはそれでファンタジー要素がストーリーの邪魔をしている事になるので、やっぱり戴けない。 兎にも角にも色々な意味でがっかりな回だった。次回から実質仕切りなおしになって本来求めていた物になるかもしれないから、まだ結論を出すタイミングではない。ただ、覚悟はしておいた方がいいかもしれない。どっちにしろ、大きな傷が付いたのは確かだから、「全編通して面白い作品」では早くもなくなった。まあ、ブルーレイを買わなくても良くなったのはある意味では幸いではあるが。
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