やはり1クールで終わっておくべきアニメだった。もともと「ヒロインたちはいいが、ストーリーはどうでもよく、主人公はダメダメ」な話。短期なら長所で短所を隠せるが、長引くとそうもいかない。加えて、話を掘り下げようとするので却って浅さや薄さ、そして狭さが顕になってしまっている。
この話では「クリエーターはこういうモノ」「クリエーターはこう扱うべき」という「正解」があって、それ以外は全部間違いという事になっているようだ。作者は主人公を通して読者を啓蒙したいのだろうか。そういう押しつけがましさが不快だ。その「正しさ」がツッコミどころ満載なので尚更だ。「いくつものテーマがごった煮になっていて、どこに飛んでいくのかわからないのが、ギャルゲーの魅力なんじゃないか」には「そういう甘ったれたことを言っているから『ギャルゲー業界に未来はない』という状況になるんだよ」と叱責したくなった。
ところで、この第2期が特に駄目に感じられる原因としては、同時期に『エロマンガ先生』というアニメがやってるという事もある。似たようなこと――ラノベ作家が作品をラブレターにしてしまう所とか――をやっているけど印象が格段に良い。その差が生じる理由の大半は「主人公がまともだから」に集約されるんだが、それとは別に多様な価値観が肯定されているという事もある。書く目的もスタイルも読者への感情も違う複数のラノベ作家を出したのは見事だった。
このアニメのシリーズ構成が髙橋龍也という事に因縁めいたものを感じる――アニメの方はストーリーのベクトルを少し変えているらしい――。個人的には恋愛ゲームというか、あの手のタイプのゲームは『痕』が極だったと思う。その後もヒットメーカーは出たが、みな「作る側の都合」でしかああいうシステムを使ってなかった。そしてその事に対してあまり疑問や否定の声が上がらなかった。それがこのジャンルが衰退した(というかさほど発展しなかった)理由の一つだと思う。
ちなみに「アニメを作るアニメ」とか作る方の話が出てくるのは、そのジャンルが行き詰って来ていることの現れと思った方がいいだろう。この『冴えない彼女の育てかた』の場合、題材はゲームで作品は(元々は)小説なので一見違うんだが、(PCゲームがプラットフォームの)シナリオライターが(エロもやる)イラストレーターの挿絵付きで書いた小説に、本業がラノベ作家のシナリオ担当と本業(?)がエロ同人作家の作画担当を出すという辺り、むしろあからさまである。無論「わかってやっている」事を示すためであろう。しかし、その「わかってやっている」という免罪符を手にしまったことで歯止めが効かなくなってしまったのではないだうろか。音楽担当がオタクでもクリエーターでもなく、もはやヒロインでさえない状況が、この作品の根底にある「甘え」や「逃げ」を象徴しているように思える。