始まりから終わりまで出来が良かったし、概ね一貫して面白かった。色々と良い事を(言葉にせず)言ったりもしていた。作品と自分だけの関係で言えば絶賛してもいいと思える作品だ。でも、「世間がどう受け止めるか」という事を考えると手放しで褒めるのが躊躇われてしまう。なにせ表面だけ見ると「厨二病万歳!」と言っているように見えてしまう話だからな。
そうじゃないと思うんだよ。岡部の良い所は別にあって、最終的に事を成しえたのも女の子たちにモテまくったのも、そっちによる物だ。決して厨二病だからではあるまい。
むろんその「良い所」と厨二病である事は表裏の関係にあるから、岡部の厨二病を否定する事は出来ない。薬の副作用はありがたくない物だが、副作用を無くそうとすると効能まで無くなってしまう。副作用を完全に否定すれば薬という物は成り立たない。副作用の存在は受け入れるしかないのだ。
しかし、だからといって副作用が本来邪魔な物である事に変わりはない。副作用自体をありがたがる事はナンセンスだ。それと同様に、岡部の厨二病は否定できない物ではあるが、これ自体は別にいいものではない。持ち上げるのは間違っている。
最近の、アニメとかゲームとかマンガとかの客って、自分の駄目な所を肯定されると喜ぶんだよなあ。
エンターテインメントだから、客を肯定すること自体は間違っていないんだけど、昔はもう少し控えめと言うか、客の良い所、マシな所だけを肯定していたような気がする。ストレスに弱くなった現代人はちょっとでも自分が否定されるとすぐ反発する。受け入れられるのは(今の)自分を全肯定してくれる作品。それを受けてか、作る方も客の駄目な所を積極的に肯定しているように見える。『00』とか『STAR DRIVER』なんかは顕著だ。
宮野真守が主役をやっていても、この『Steins;Gate』は違うと思う。一見、オタクの自己肯定を後押しするような作品だが、実際には、より普遍的な価値観で成り立っていた。オタクじゃないと「入る」のが難しい話なのに、ストーリー展開はそうじゃない人でも納得できるように作ってあった。
一般的に物語というのは広くて浅い所から始めて狭くて深い所に持って行く。この物語も基本的にはそうなのだが、一面ではむしろ逆に狭くて深い所から始めて広くて浅い所に持って行っている――この場合の「浅い」は悪い意味では無く、万人が理解しやい/共感しやすい程度のニュアンス――。
ちなみにこの物語、見ている最中に感心する事が何度もあったが、その中でももっとも感心したのは、まゆりを助ける為にせっかく叶った他のヒロインたちの願いやせっかく出来上がった彼女たちとの関係を「無かった事」にするくだり。大抵の恋愛ゲームで、物語の外でプレイヤーがやらされている事を、きちんと物語の中で主人公がやっていた。ちゃんと主人公が損失感やら罪悪感やらを抱え込むのは、実にありがたかった。
主人公をプレイヤーの感情移入、あるいは自己投影の対象とするのなら、本来やらなればならない事なのだが、実際にやっているのは少数派だ。また、「常連客」もあまり深く考えないようにしている――考えてしまっては「常連」で居られない――。結果として、恋愛ゲーム界においては、「そういう物」として固まってしまっている。
この話は、作品あるいは商品として見ればそっち側の物であるのに、そっちの価値観に縛られず、環境に特化する前の、人としてより自然な感情や価値観に寄り添って話を描いた。まさに「狭くて深い所から始めて広くて浅い所に持って行っている」という事だ。
まあ、実際制作者がそこまで考えているかどうかは分からないんだけどね。
こねくり回していても、結局のところ目的はオタクの自己肯定という事も考えられる。実際、そう受け取っている人も結構いるようだから、そうじゃないメッセージを込めようとして作った話だったら、むしろ失敗した事になる。
ただ、ここでは勝手にそういう物だとして判断させてもらった。今のオタクに必要なのは、価値観的な意味で広く浅い所に少し戻る事だと思うから。これからもしばらくは、他の作品でもそれっぽく解釈できるようなら、我田引水的にそう解釈させてもらうつもりだ。