またまた総集編。ここ最近、動きまくってたからな。しかも、OP・EDの変更時期だし。見事に息が上がったという事だろう。
まあ、一年で三回――「EDITED」は数に入れない――だったら、むしろ普通。特に問題はない。問題があるとすればタイミングか。残り(おそらく)十話という所で入れるのはさすがにどうかと。しかも前回ラストで盛大に引いといて。色々考えるとこの総集編、一話前にやるべきではなかっただろうか。それだったら話もちょうど切れていたし、内容的にも合う。
で、その内容だが、前分はアスランの反省会。後半はキラの言い訳。それまで内面が描かれなかったシンやデュランダルの視点で語られた、前二回の総集編に較べると目新しさは無さそうに見える。しかし、今回の内容を「そんなことはもう知っている」と流してしまって、果たして良いものか。
アスランとキラ、二人の言い分を並べてみると、微妙な食い違いがある。
アスランは、シンや自分を「何も考えず戦うだけの戦士」にしようとしたデュランダルに反発し、ついには脱走する破目になった。しかし、今のキラは正にその「戦うだけの戦士」だ。デュランダルは、キラは戦士としての道を踏み外したと言っていたが、実はキラこそデュランダルの言う正しい戦士の生き方を実践している。従う相手がデュランダルではなくラクスやカガリだから、シンやレイの敵に回っているに過ぎず、根本的なところでは同じだ。
もっとも、アスランもデュランダルの言葉自体には真実が含まれていると言っている。実際、決定と実行で役割をきっちり分けているラクスとキラの方が、各々が両方の事をやろうとしているカガリとアスランよりもはるかに上手くやっている。だから、ここまでなら、「アスランたちもさっさとキラたちを見習うべきだ」という結論になる。
しかし、キラは同時に「ラクスやカガリたちは一生懸命未来を切り開こうとしている」と言っている。確かにカガリは、出来る出来ないはともかくとして、未来を切り開こうとしている。しかし、ラクスはどうだろうか。ラクスがやっている事は前も今も、「今」を壊そうとする者を止めるだけである。言い方を変えても、せいぜい未来、あるいは未来を切り開こうとする者を守ろうとしているだけだ。決して自分で未来を切り開こうとはしていない。そもそも、自分で未来を切り開く意志があるならば二年間も孤児院で子供の世話などしていない。プラントに行って指導者になっていただろう。
ラクスはキラが思っているほど、あるいはキラがそうしているほど、自らの能力を受け入れてもいないし、達観もしていない。「生まれ持った力で世界に求められる役割を果たす」という生き方を拒んでいる。
もし、ラクスが本気を出せばカガリなどより余程優れた指導者になるだろう。しかし、それは一人の完璧な独裁者の誕生を意味する。ラクスが新しい世界を作れば、それはおそらく良い世界だろう。しかし、その世界はラクス以外には維持できない。ラクスが死ねばそれまでで、世界は崩壊する。
ラクスからすれば、失敗を繰り返しながらも皆と協力して前に進んでいくカガリのような人間にこそ、指導者になってもらいたいのだろう。また、キラやアスランにも、戦うだけの戦士にはなってもらいたくないのだろう。
こうして見ると、同志であるはずのキラ、アスラン、ラクスの間にも考え方の点で溝がある。この溝は今後、埋まっていくのだろうか。それとも広がっていくのだろうか。あるいは第3期シリーズがあったあかつきには(今度は自分たちの意志で)キラとアスランが戦う事になるのかもしれない。
毎度の事ながら、深読みのしすぎのような気もするが、「SEED」は前シリーズから意地の悪い作りをしているからな。今回の内容はどうも、視ている人間を試しているような気がする。これくらいは考えておいた方がいいだろう。場合によっては前回、前々回も認識を改める事になるかもしれない。