総集編だったが、前回のそれ(stage8.5)に較べて見応えがあった。と言うか、前回のが見応えが無さ過ぎた。なにしろ前回のは本当にただの総集編だったからな。まだ八話しかやっておらず、その八話の内容もほぼ一本道を駆け足で走り抜けたような物だったから、そうならざるを得ないのはわかるのだが、1話から欠かさず見てきた人間には退屈だったよ。
それに対して、今回のは物語を構成する色々な要素の中から一点を選び、その方向から話を再構築していたので、これまでの話を知っている人間にも楽しめた。
今回のテーマに必要ならば9話以降という枠に拘らず、それ以前からもネタを引っ張ってくる。一方で、今回は関係ないと思えば、存在感のあるエピソードでも容赦なくスルー。シャーリーとマオの一件に、直接は触れなかったのは英断と言っていいだろう。
もっとも、シャーリーの件を端折った所為で、またしてもルルーシュが学習しない人間になってしまっていた。ミレイになんかあったら性懲りも無く「無くしてから、初めてわかる事って、あるんですね」とほざきそうだ――まあ、ルルーシュが「二回以上失敗しないと問題にきちんと向き合わない」のはいつもの事だから、キャラクターとして一貫性が取れていると言えば、取れてるんだけどね――。
ああ、でも、本編で十分に描かれてこなかったルルーシュの学園での生活や、ミレイとの関係がフォローされていたこと自体は良かったな。まあ、本編で十分に描かれていればここでフォローする必要はないんだから、作品全体の作りとしては問題があるんだが、それでもやはり良かったと思う。
あと、ルルーシュの認識と、客観的事実の「ずれ」がはっきりと描かれたのも良かったな。
なるほど、ルルーシュは「人質事件の際、スザクはユーフェミアを助ける為に飛び込んできた」と思い込んでしまったか。まあ、ルルーシュの知っている事実からすれば、そう思うのも無理はない。実際には、スザクが特に助けたかったのは生徒会の面々で、ユーフェミアに関してはそこにいる事さえ知らなかったんだがな。
なんにしても、ルルーシュの視点で物語が語られる事が、初めて意味を持ったような気がする。この手の、主人公(など)の語りで物語を進行させる手法って、小説などでは割とポピュラー――「マリア様がみてる」とか(読んだ事がないのではっきりした事はいえないが)「涼宮ハルヒ」なんかが最近の代表例か――だが、大抵の場合、客観的事実や語り手の本心と、その語られる言葉との間に「ずれ」がある。と言うか「ずれ」を作る事で、読者を楽しませたり引っ掛けたりする事こそが、この手法のメリットだ。
このアニメの主人公(ルルーシュ)の語りにもそういう意図があると思われるのだが、如何せん全体的に作りが雑なので、はたしてそれが意図的な「ずれ」なのか、脚本家や演出家のミスなのかがわからなかった。お陰で作品全体をどう見るべきかがわからず、えらく苦労させられたよ。
まあ、こういった文字媒体の手法を映像媒体でやるのが大変なのはわかるけどね。とは言え、それも自分たちで選んだ結果だろう。嫌ならこんな手法を使わなければいいんだ。別に偉い人に命じられた訳でもあるまい。
こういった手法をアニメでやるというのは斬新で、試みとしては面白いが、実行の段階でもう少し工夫をしないと。とりあえず、斬新という事はすなわち、あまり前例がないんだから、早いうちに「こういう手法を使っています」という事をはっきりと示さないと。序盤で今回みたいな事を一つ二つやっていてくれれば、もう少し見やすかったと思う。
(ここまで書いといてなんだが、ルルーシュの語りには実際にはそんな狙いはなく、今回が例外という可能性もある。今回みたいなはっきりとした「ずれ」がもう一つ二つでるまで、判断は保留した方がいいかもしれない)