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1 2011年 12月 31日
折り返し地点に相応しいように盛り上げようとしているのはわかるんだが、表層的にテンションが上がれば上がるほど、むしろ冷ややかな気分になってしまった。この段階でこういう展開にするのは間違っていない。ただし、それは手順をちゃんと踏んでいればの話。これまでの経緯が経緯なので逆に、「葬儀社の仲間を助ける為にがんばる集」にまったくと言っていいほど感情移入できなかった。前回までの話を見る限りでは集が葬儀社という組織に対してそこまで強い感情を持っているとは、とても思えない。
葬儀社の中の誰かしらを助けたい、という展開なら良かったんだけどねえ。葬儀社という集団でくくってしまったので違和感が。同じ葬儀社のメンバーであっても、具体的にそれが誰かで集の気持ちも違ってくるだろう。 これまであった事からこの段階での集の感情を推測すると、「いのりは当然助けたい」「涯も、このまま死なれると勝ち逃げされたような気分になるので、ここで死んで欲しくない」「綾瀬とアルゴには、きつい事も言われたが世話にもなったので、出来れば助けたい」「ツグミとはあまり縁がないが、自分よりも年下の女の子を見捨てると目覚めが悪いのでどうにかしたい」「四分儀、大雲、その他の名の無い連中は割とどうでもいい」「研二はあまり助けたくない、むしろ出来れば見捨てたい」という感じになる。斯様に同じ集団のメンバーでもその中の誰かによって感情のプラスマイナスや濃淡は異なってくる。いや、そもそも一人の人間に対してさえ、こういう場合には相反する感情を持つのが普通だ。例えば綾瀬の場合、基本的には助けたいと思うだろうけど、前回言いたい放題言われた事を思い出すとこのまま放って置きたいと言う気持ちも湧いてこよう。涯の場合は言わずもながら。 そういう複雑な人間心理を無視して、主人公にヒーロー的な行動をさせられても、見ているこちらとしては盛り上がれない。「こういう時、主人公だったら仲間を助けに行かなきゃ」といった物語的な都合があからさまなんで白ける。 ちなみに白けるという事に関しては助ける側のドラマも同様だった。「友情パワーで大逆転」という事をしたつもりなんだろうが、これまた外していた。 外した理由は上と同じ。「学校の友達」とひとくくりでまとめてしまった事。こういう状況で共に危地に飛び込んでくれるような「友達」は祭、颯太ぐらいだ。花音まで来るとちょっと微妙。亜里沙は協力はしてくれるだろうが「友達」と言える関係ではない。谷尋はこれまでの経緯が経緯なので、ここであっさり協力してくれるのはちょっと不自然――少なくとも「みんな」と一緒に協力するのはしっくり来ない――。集との関係にしても抱える事情にしても、一人一人異なる。そこら辺を無視して一纏めに「友達」とか「仲間」というニュアンスで話を転がしてしまったので、取って付けた感じが半端でなく、見てて全然盛り上がれなかった。 この状況で亜里沙まで面子に入れて、「知り合い総動員でヴォイドを引っこ抜きまくる」展開にするなら、いっそ綾瀬やツグミ、アルゴも助ける側に置いておいた方が良かった――途中で拾うでも可――。こいつらのヴォイドも引っこ抜けば、なりふり構わない感じが出て却って良かろう。その場合、「葬儀社の仲間を救う」話としては少しおかしくなるが、上で書いたようにそもそもそれ自体が良くないので、そこは割り切って「いのりと涯を助ける」ぐらいのニュアンスに変えてしまえば良かったのだ。 それにしても今回は実に大河内一楼らしい話だった。こういうストレートな、善良な少年少女が協力しあって事を成し遂げる話を作らせると実にいい仕事をする。最近あまり振るわなかっただけに、「『エンジェリックレイヤー』や『ステルヴィア』の頃の調子を取り戻したか」と嬉しくなるよ。――今回だけで見ればだが。 シリーズ物の一話として見れば、「この展開は無い」と言わざるを得ない。このアニメ、そこまで単純な、性善説的な物語ではなかったはずだろう。主人公の集にしても「物語の主人公になるべく作られたキャラ」ではなく、もっと生々しい今、現実にいる若者・少年の投影として作られている。これまで描いてきた、人間の弱さとか醜さとかを考慮せず、単純なヒーロー物にしてしまうのは問題がある。 ああでも、そこでそういうマイナス要素を描こうとすると、『コードギアス』や『シゴフミ』の時みたいに、「出来ない事はするもんじゃないな」という結果になってしまうか。結局どうにもならないんだな。身も蓋も無い言い方になるが、大河内一楼では吉野弘幸の深さについて来れないようだ。 まあ、吉野弘幸の深さも必ずしも物語にプラスになるとは限らないんだけどね。当たる時は大当たりするんだが、駄目な時はかすりもせんからな。深くはあるが、狭い深さなのだろう。そもそも広さがあれば、他の脚本家が担当した回の話も上手く取り込んでいるだろう。そこら辺、あんまり出来ていないからな。お陰で脚本家によって全然別の話みたいになっている。 この二人、一緒に仕事してもあまりいいこと無いようだな。どっちか一人に任せた方が良かったんじゃないか。どっちがやるかによって全然別の話になるだろうが、少なくともこういう不安定な話にはならずに済んだと思うのだが。 ▲
by GyouKyou
| 2011-12-31 03:14
| アニメ(オリジナル)
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2011年 12月 21日
「女のためです。たった一人の女を、この手で抱きたい。だから戦っています」
なんか先を越されたな。こういう台詞は集に言ってほしかった。相変わらず主役を食ってるな、恙神涯。 主役に求める事は色々あるのだが、その一つに「動機や目的、願望がわかりやすく、一貫している」という物がある。これが満たされていると主役に感情移入しやすいし、物語の方向性がある程度わかってイライラする事が少ない。 集は多分それを満たしている。初めから今に至るまで一貫して彼の行動の根幹にあるのは「いのりを自分の物にしたい」というわかりやすい願望なのだろう。 まあ、この推測自体が半ば以上(私の)願望だがな。なにしろ、それ以外には見当たらないので。理想や正義、義侠心とかではないだろう。アンチボディの非道に動揺したり、葬儀社に仲間意識を持ったりしたが、その場限りの事でそれが行動の原動力とかにはなっているようには見えない。 ここら辺、いかにも「今時の若者」だ。倫理や道徳といった社会で作られた価値観など気にも留めず、(ナチュラルに)自分にとって利益か不利益かを計算している。(社会における)地位や名誉や賞賛とかが欲しくない訳でもないが、リスクを負ってまで得ようとは思わない。誰かが災厄に見舞われている事を知っても、「自分にはどうする事も出来ない→だから責任はない」と軽く流せる。貪欲ではないのでわかりにくいが、実はかなりエゴイスティックだ。 もっとも、そういう在りようって嫌いでもない。「夢の実現=社会的成功=正義」という考え方に染まっていた前の世代――あるいは我々の世代――より余程評価できる。年寄りは今でも「夢を持て」とか言って社会において何かを成し遂げさせようとするが、大抵その言葉の奥にある本音は「自分たちでやるのはかったるいから、お前ら代わりに社会に貢献して(俺たちが)快適な世界にしろ」程度でしかない。そういう欺瞞に満ちた言葉をスルーして自分のペースで利己的に生きるしたたかさには、むしろ好感を覚える。 ただ、一方で、「本当にそれでいいの?」とも思う。損をしないように、いいように利用されないようにという事に捕らわれ過ぎて、本当に欲しいと思う物を手に入れる可能性まで潰してしまうのはどうだろう。ここぞという時には突っ走っちまった方が良くないか。途中で損をする事になっても結果的に他人に利用される事になっても、それは恥ずかしい事ではないと思う――と言うか、気にする事ではないと思う――。 別に夢だの何だの高尚な事を言わなくてもいいんだ。そもそも「夢」なんて言葉は社会に役立つ時だけ欲望に被せられる仮面だ。「夢」という言葉をフィルターにして社会にとって有害・無益な欲望を排除しているに過ぎない。「夢」と呼ばれるようになった時点で純粋ではないのだ。 そんな事を普段から思ったりしているので、集が「意中の女を自分の物にする」という欲求で動いていてくれるのならば、むしろ嬉しい。正義とかとは無縁で相当に利己的――「いのりを守る」「いのりを幸せにする」でさえ手段であって目的ではあるまい――だが、この場合はそれでいい。目的達成の為に他人や社会の利益とぶつからないように工夫する必要はあるが、スタート地点では他者の利益を無視した完全に個人的な欲求の方がむしろ純粋でよろしい。 純粋と書いたが、こういう場合、主人公のヒロインに対する気持ちがどれだけ純粋に見えるかで作品自体の良し悪しがかなり変わる。その点、集の設定、初期状態は良く出来ていた。 話が始まった時点の集はかなり恵まれている。恵まれていると言っても、いわゆるリア充というのとはちょっと違って、むしろオタクまたは草食系男子の願望が満たされた空間というか。好意を寄せてくれる可愛くて胸の大きい幼馴染み。自分を溺愛している(でもあんまり家に帰らない)美人のお母さん。空気を読めない自分を(頼まなくても)フォローしてくれる友人。全然がんばってないのに快適な青春を送る為に必要なものは全部揃っている――父親という精神的に面倒臭い存在は端から居ないし――。 こういう満たされた状態にあったお陰で、集がいのりと親しくなろうとしたのが「現状から脱出する為の手段」に見える事だけは無くて済んだ。ボーイ・ミーツ・ガールをやろうとしたんだが、ここら辺の塩梅がわかってなくて失敗した例はいくつもある。「お前もそろそろ恋愛の一つでもせんか、と言われてその気になったちょうどその時ヒロインが通りかかったのでこいつにしようと決めた」とか「なんか人生上手く行かない。今の自分は本当の自分じゃないんだ。ああ、彼女なら自分を本当に自分が居るべき所に導いてくれる」みたいな出だしだと、その時点で白けてしまう。 まあ、集の「満たされた日常」も実際は砂上の楼閣で、しかも早々に崩れ始めてしまったから、いのりに対する気持ちが強くなったのも状況に流された結果――吊り橋効果――という面は否定できない。そもそも最初に惹かれたきっかけも、「記憶の奥に眠っている「お姉ちゃん」と同じ姿をしていたから」という可能性が強いし。 それだけに、集には「自分はいのりを欲していて、戦うのはその為だ」と言う事をきっちり自覚してもらい、かつ明言してほしかったんだが。なんか涯に先を越されてしまったよ。これでは集が言っても二番煎じ、物真似にしかならない。しかも今回、集が涯みたいになろうとした事、それが間違いだった事が割とはっきり描かれてしまった――集自身は「なれなかった」事を問題にしていたが、話の流れからするにそもそも「なろうとした」事が間違いだったのだろう――ので、それ(二番煎じ、物真似)さえ出来ない。 「やっぱり吉野弘幸が描きたいのは涯の方で、集の方はどうでもいいのかなあ」と少し思ったが、よくよく考えるとこれも仕方がない事なのがわかってくる。 主役と準主役、二人いる以上、性格やらキャラクターやらはきっちり分ける必要はある。同じような事をするようでは二人用意した事がむしろ有害になる――きっちり敵味方に分かれていれば、多少キャラが被ってもいいんだが――。実際、くだんの台詞(あるいはそれに類する台詞)を先に集が言っていたら、「むしろ涯が言いそうな台詞だよなあ」と思っていたかもしれない。涯が常に自覚的で、自分一人で決めて進んで行くタイプなら尚更、集は思い悩んで人に背中を押してもらうタイプにならざるを得ない。そういう事なのだろう。 一見、主役である集が、準主役である涯のあおりを食ってキャラが歪められているようだが、そういう訳ではないのだろう。むしろ涯が居る事で集の「弱さ」が魅力に見える。実際、ある種の女性は涯よりも集の方に魅力を感じる様子。涯自身はむしろ集に劣等感なり敗北感なりを持っている。「僕は僕だった。どうしようもなく桜満集だった」みたいな台詞を肯定的な意味で言えるようになるかが、とりあえずの山か。 そこまで考えると、くだんの台詞を発したのが集ではなく涯だった事にもそれなりに納得できる。確かに今更、普通に出来る奴になっても困る。変わらなきゃならない部分もあるだろうが、根本的な所は変わって欲しくない。周りに助けられまくるというのは、それはそれで主人公らしいしな。 ああただ、そこら辺をわかっても尚、今回の祭の「男にとって都合のいい女」っぷりは見てて少し不快だった。表面的・短期的には見ると「都合のいい女」になる事を拒絶した事になるんだが、物語的・長期的に見るとむしろ完全に主人公と物語にとって「都合のいい女だ」。だってこの後、集がいのりとよりを戻す事を考えると、ここで何もない方が好都合だもん。 そこは「他の女の代わりなのはわかっている。でも、ここを逃がせばもう二度と彼は手に入らない。既成事実を作って彼を自分の物にする」みたいな方が良かった。祭は当初から主人公にとってあまりに都合のいいキャラなので逆に微妙だったからな。むしろここで、そういう狡さだの弱さだのを見せてもらった方が魅力を感じたと思う。 あと、ああいうしょうもない現実逃避をした集にはちゃんと罰を食らって欲しかった。ここで祭と一線を超えちまって後でいのりとの関係が盛大にギクシャクするぐらいした方がむしろ納得できる。こと、いのりとの関係に関しては、集にはとことん苦労してもらいたい。 もっともここで本格的に三角関係(というより修羅場)なルートに入ったら、それこそ収拾が付かなくなるか。本末転倒な事だがこのアニメ、やる事が多すぎて主人公一人にかかずらわっては居られないようだ。 吉野弘幸の作品は主人公を始めとして出来る奴が多いが、作家個人の好みとは別に、そうならざるを得ない事情があると思う。吉野作品は大抵ネタが詰め込んであるので、そういうキャラじゃないと尺に話が収まらないんだろう。なにか起こるたびに登場人物たちが悩みまくったり迷走したりしていたら、それこそ時間がいくらあっても足りない。実際このアニメも、主人公である集が一々悩んだりごねたりするので、上手く話を回せなく、回せないまま無理やり進ませているのでネタが未消化だ。この上、脇役連中までアホな事をしだしたらそれこそ収拾が着かなくなる。そういった事情がある以上、祭には(ストーリーの要求に沿った)賢明な行動をとってもらうしか選択肢はなかったのだろう。仕方がない。 ただ、周りの連中をしっかりした人間として描いてしまうと、主人公のヘタレっぷりが悪目立ちしてしまうのがなんとも。いや、駄目人間ばかりを周りに揃えられてもそれはそれで困るし、露骨な引き立て役を出されても不快になるんだけど。ここら辺なんか上手い方法はないものかなねえ。 ▲
by GyouKyou
| 2011-12-21 00:02
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2011年 12月 14日
次回予告で「そんな慢心した僕を」とか言っていたので、さぞや不愉快な気分になるだろうと思っていたのだが、そんな事は無かった。次回以降の展開で評価が変わるかもしれないが、とりあえずは問題の無い出来だった。
何で大丈夫だったのか。その理由は色々あるが、集の判断や選択が(少なくともその場その場で見れば)概ね正しかった事が一番大きい。慢心していたかもしれないが、行為自体は人として正しい物ばかり。そうじゃない道を選んでいたら、逆に軽蔑していたと思う。一人で突っ走っちまったが、時間的状況的に余裕がなかったという面もあるので単純に非難は出来ない――涯に助言なり指示なりを仰ごうとはしていたし――。 大体において、やるべき事をやろうとしていたし、出来る限りの事はやっていた。それにも関わらずあの悲惨な結末に至ってしまうのだが、だからこそ悲劇になる。人間的能力的に駄目な人間が間違った事をしまくった挙げ句に悲惨な目にあっても、順当過ぎて悲劇にはならない。むしろ正しく因果応報で喜ぶべき事だ。悲劇とは今回の話のような物を言うんだ。いやホント、良く出来た悲劇だった。 ただ、あまりに良く出来ていたので、逆に心があまり揺れなかった。なんか「まあ、仕方がないよね」という感じで納得してしまった。そもそも寒川潤当人が望んでいた事だし納得してしまっているし。集はかなり罪悪感を覚えているようだが、そこまで感情移入は出来ない。一方でそれなりに肩入れはしているので、二重の意味で潤の死を「仕方がなかった事」にしたくなる。谷尋にとってはかなり悲惨な結末だが、彼には肩入れさえしていない――そうなる機会を得られないまま事が終わってしまった――ので何らかの感情を抱きにくい。谷尋の今後は気になるが、それも「草間花音の今後に密接に関わるであろうから」という間接的な関心でしかない。 そんなこんなで潤の死その物はあまり心に残らず、その代わりにそこで明かされた、ヴォイドに関わる諸々の方に気を取られてしまった。 「ヴォイドが見える」のは涯固有のスキルかと思っていたが、アポカリプスウィルスに感染した患者なら(全員かどうかはわからないが)獲得できる――獲得できてしまう――割と一般的(?)な能力なようだ。そしてそれを逆の方向から見れば、涯は既にウィルスに感染しているという事になる。にも関わらず涯の症状が悪化しないのは、いのりの血にウィルスの進行を抑える力があって、それを定期的に輸血しているから。ほのめかされていたので予想は出来ていた事だが、今回明らかになった事で線が繋がったな。 潤の言っている事を聞くに、ヴォイドが見える事はむしろ苦痛で、アポカリプスウィルスのもたらす災厄は身体の結晶化などよりも、こちらの方が余程大きいようだ。涼しい顔をしてレジスタンス活動にいそしんでいるように見える涯は、実は常にあのような苦痛を受けているのか。彼氏の印象がまた変わったな。 かのように今回の話は物語のメインラインに関わる大事な事を上手く、センセーショナルに伝えてくれた。シリーズ物の一話としては良く出来ていた。しかし、シリーズの一環としての役割りを上手く果たしていたが、単体の話としては少し印象が薄かった。 ……いや逆に、シリーズの一環としての役割りを上手く果たしたので、結果として単体の話としての印象が薄くなってしまったのかもしれない。ここら辺、「卵が先か鶏が先か」の世界だ。あるいは、「あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず」と言った所か。難しい事だ。 ▲
by GyouKyou
| 2011-12-14 22:59
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2011年 12月 07日
「なんかぬるいね、色々。吉野のやつは何やってんの」
もはや5話ぐらいまでとは別のアニメのようだ。妙にわかりやすいし。 ぬるいのもわかりやすいのも、それ自体は別に悪い事ではない。「アニメは基本的に子供が見る物」と考えている人間としては、普段だったら肯定する。でも、序盤の展開とか乗りとかを思い返すと首を傾げざるを得ない。 今回のメインラインである魂館颯太との一件も、今回単体で見れば「多少底が浅いが、どうこう言うほどでもない。まあ、こんな物だろう」で済んだ。でも3話の谷尋との一件と比較すると、そうも行かなくなる。なにせ、やっている事は大して変わらないのに結果が正反対だからな。 集が谷尋との事で何かを学んでその結果として「今回は上手く行った」だったら良いんだが、別にそういう訳ではないようだからな。明暗を分けたのは相手側の事情が違ったからに過ぎない。それなのに、なんか「正しい事をやったから正しい結果にたどり着いた」的な描かれたするので「なんだかなあ」と思わずにいられない――緩衝役だった谷尋がいなくなったので却って本音でぶつかり合う事が出来るようになった、という面では筋が通っているが――。 一方、今回はメインラインとはあまり関係の無い短いエピソードが挿入されていたのだが、これもまた首を傾げざるを得ない代物だった。ダリルや校条祭の事情やら気持ちやらが描かれていたのだが、これがナンともカンとも。前回の亜里沙にしてもそうだが、妙にわかりやすい。当人たちのキャラがわかりやすいと言うのもあるのだが、それ以上にその見せ方がわかりやすい。あからさまに観客を意識した言動やシチュエーションが並べられていた。 これもまた、普通のアニメだったらそれで別に構わない類いの事だ。でも、このアニメだと問題だ。だって基本的には主人公を通して伝えられる話だったろう。 序盤――1~5話、6話はちと微妙――では概ね集の視線で描いていた。集がいない状況、見てない出来事が描かれる事もあったが、その場合でも「答え」を与えられるような事は無かった。むしろ、より「わからなく」なる事の方が多かった。それなのに、ここ最近は集を飛び越えてわかりやすく答えが与えられてしまっている。 確かに序盤の「わかり難さ」はストレスの要因ではあった。主人公がわからない状態に置かれるので、主人公に感情移入しているこちらもわからない状態に置かれ、イライラする。しかも、わからない状態に置かれた主人公が、わからない状態を受け入れてしまって――わからなければ責任がないと考えているのか――能動的にわかろうとしないので更にイライラする。二重の意味でストレスが溜まった。序盤の展開や乗りには、非難が多かった事だろう。 しかし、それは何らかの理由があって意図的にやっていた事なのだろう。だったらそれは通さなきゃ。今回のラストで集が「もっとちゃんとわかるようにならないと」的な事を言っていたが、そういう展開になるならなおの事、視聴者が先に行ってしまっては駄目だろう。これから集が色々とわかるようになって行く事で、視聴者もわかるようになっていく。それまでストレスを溜めた分、わかった時のカタルシスは大きい――。本来はそうなるべきなのだが、なんか今回――厳密に言うと前回からか――ルールを破っちまったので台無しになってしまった。今回の話の所為で「必要なストレス」「意味のあるストレス」になり得た物が、本当にただのストレスになってしまったかもしれない。 脚本家が違うから仕方がない面があるんだが、乗りが変わってきているな。受けが良くなかったから方針転換……にしては早過ぎるか。やはりスタッフ内でコンセンサスが得られていないのか。案外、吉野弘幸が一人で先走ってしまったのかも知れない。意図的にわかり難くしているのを見てると、彼が『SEED』の脚本家でもあったのを思い出す。あれは確かどこかで監督が「わざとわかり難くした」と明言していた。 この「わざとわかり難くする」という作り方も是非が決め難い。あれもこれも、自分一人で見ている分には不親切な作りに盛大に愚痴が出るのだが、世間の感想とかを見ていると逆に肯定したくなる。最近は一から十まで説明しないと理解できないお客が多くて困る。世の中、わかろうと努力しないとわからない事の方が多いんだけどねえ。 そういう世相を見ていると、こういうのも無いといけないと思ってしまう。個人的好みから言えば、もう少し穏やかにやってもらいたいのだが、それだと既にわかっている人間にしか結局通じないようだからな。荒療治になってしまうのも仕方がない。 まあ、このアニメの場合、大切な芯が何時の間にやら折れてしまっていた気配があるので、こっち方面でもあまり期待は出来そうにない。つーか、終始一貫させないと意味が無い事だから、これから元の乗りに戻してもどうにもならないのだ。覆水盆に帰らず、という所だ。 ▲
by GyouKyou
| 2011-12-07 20:10
| アニメ(オリジナル)
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2011年 12月 04日
クオリティーは高い。
話の方もそんなに悪くないのだろう。 でも別に嬉しくない。 なぜなら『LAST EXILE』の続編だから。 『LAST EXILE』は神アニメだったよ。4話ぐらいまでは。そこから急に落ちて、ついに最後まで元のレベルに戻る事は無かった。なまじ最初が良かっただけに腹立たしさは尋常じゃなかったよ。 そんな感じだったので、これがいくら出来が良くても特に嬉しくならない。「世界が同じだけ」とかだったら別の物として見れるが、真っ当に続編だしな。「前作を全部見てて、前作が好きで、前作の話を覚えている」人の為の代物のようだが、私は最初しか当て嵌まらない。 一方で『LAST EXILE』の続編という事を忘れるとそれはそれで結構どうでも良くなる。だって、女の子三人が主人公なんだもん。『LAST EXILE』に惹き付けられたのは当時としては(あるいは今も)珍しい真っ当に出来る若人が主人公で、それの兄貴分だか師匠だかになるだろう出来る艦長がいたからだ。そして、だからこそ出来る主人公だと思っていたクラウスが(ヴァンシップに乗っているとき以外は)ただのヘタレで、出来る艦長だと思っていたアレックスが自分の感情でいっぱいいっぱいな小さい男でしかなかった事に失望と怒りを感じたのだ――にも関わらず、作品の中では二人とも最後まで出来る奴と言う事になっていたのでなおの事――。 対してこの『銀翼のファム』は女の子三人がユリユリする話。最近では珍しくも無く、はっきり言って食傷気味なパターン――同年代の少年はたくさん出しているのに、異性との恋愛をやる気配をこれっぽちも見せない辺りが凄い――。正直この手の話が上手く行っても「ああそうですか」で終わるし、こけたとしても別に困らない。見てて不快になる事は無いが、それも「本質の部分で自分とは関係ない」と感じているからであろう。 ああ、ただ、続編をこういう話にしてしまうのを見てると前作からのスタッフには節操って物がないなあと思う。つーか、前作でああいう主人公にしたのにも特に何か考えがあっての事ではなかったんだな。数年を経て更にがっかりだ。 あと、ディーオが生きていたのを見て、かなりげんなりした。モランというキャラをラスト二話前に雑に殺し、最終回でこれまた雑に「実は生きていた」事にしやがった、そのあまりにいい加減な展開を見て「この調子であと一話あればアレックスが蘇り、もう一話あればディーオが復活するのだろう」と毒づいたんだが、ディーオ本当に生きてやがったよ。なんかマジで、アレックスものうのうと生きていてソフィアと子供とか作っていそうだな、まったく。 ▲
by GyouKyou
| 2011-12-04 20:10
| アニメ(オリジナル)
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